2021年6月17日、オーストラリアの保健相はイギリスのAstraZeneca社製の新型コロナウイルスワクチンについて、接種後に血栓症を発症する事例が相次いだことを受け、接種の対象年齢を50歳から60歳に引き上げることを発表しました。
そもそも、なぜウィルスベクターワクチン接種で血栓症になる可能性があるのかが、実はあまり報道されていないような気がします。また、Pfizer/BioNTech社製のmRNAワクチンでは血栓症の可能性がないのか疑問に思われるかと思います。
そこで、今回はウィルスベクターワクチン接種で血栓ができる原因(可能性)についてまとめてみました。
生物の遺伝子に関する基本法則のおさらい
ウィルスベクターワクチン接種で血栓症になる可能性がある原因について説明する前に、どうしても高校生物で習うセントラルドグマ(DNA→RNA→たんぱく質の一連の流れのこと)について理解しておく必要があります。
※セントラルドグマに関しては簡潔に記載していますので、正確でない部分もありますがご了承ください。
DNAとは遺伝子の本体であり、全ての細胞に存在しています。その構造は二本鎖の二重らせん構造をとっています。DNAの中に遺伝子と呼ばれる部分があり、この遺伝子の部分にはたんぱく質を合成するための情報が詰まっています。よくDNAと遺伝子を混同しがちですが、DNAは全ての遺伝子が含まれている本体であり、遺伝子はDNAの中に複数存在する重要な情報だと思えば良いと思います。
さて、DNAから遺伝情報を読み取るには、まずRNAとして情報を写し取る必要があります。この過程を転写と言います。
ここで話が少しややこしくなるのですが、実は遺伝子は遺伝情報を含む領域(図の赤線)と遺伝情報を含まない領域(図の青線)から構成されています。このため、遺伝子が転写されてできたRNAにも遺伝情報を含む領域と含まない領域が存在します。
遺伝情報を含まない領域がRNAに残るとたんぱく質を作るうえで非常に都合が悪いので、ここでこの遺伝情報を含まない領域を切り離して再度つなげ合わせる作業が発生します。これを転写後修飾(スプライシング)と呼びます。
そうして遺伝情報のみで出来上がったRNAをmRNAと呼びます。
mRNAの遺伝情報を基にアミノ酸をつなぎ合わせて作られるのがたんぱく質です。この過程を翻訳と言います。この様にして出来上がったたんぱく質は生命維持に関わる化学反応を進めたり、体の材料になったりと、様々な役割を果たします。
この一連の流れがセントラルドグマになります。
ウィルスベクターワクチン接種で血栓ができる原因
これはあくまでも可能性の話であることに注意していただきたい。と言うのは、この可能性に関しては正式に論文として報告されているのではなく、査読(審査)前の論文として公開された内容であるからです。
新型コロナのウイルスベクターワクチンでは、アデノウィルスベクター(遺伝子の運び屋)に新型コロナウィルスのスパイクたんぱく質を作るDNA(遺伝子)が組み込まれています。このアデノウィルスベクターを人に感染させると、細胞の中で組み込まれたDNAを基にmRNAが生成されます。
ここで先ほど書いた『生物の遺伝子に関する基本法則』を思い出して欲しいのですが、DNAを基にmRNAが生成される際には転写、転写後修飾(スプライシング)の過程があります。
研究報告では、この転写後修飾の過程が血栓ができる原因ではないかと考えらています。
DNA上の遺伝子領域には必要な情報と不要な情報が入り混じっているため、これを単にコピー(転写)しただけでは完全なmRNAは合成されません。完全なmRNAを合成するにはコピー(転写)したRNAを切り貼り(転写後修飾)して、完全なmRNAを作る必要があります。
イメージ的には、撮影した動画を動画編集ソフトで不要な場面をカットして繋ぎ合わせるような感じですね。
ところが、この転写後修飾においてまれにエラーが起きます。本来切り取るべきでない箇所で切り取って編集されてしまうことがあったりします。そうすると当然不完全なmRNAが合成され、その誤ったmRNAからは誤ったたんぱく質(本来の機能を持たないたんぱく質)が生成されます。
このたんぱく質が細胞外に流出することで炎症反応が起こったりし、極まれに血栓が発生する可能性があるそうです。
Pfizer/BioNTechのmRNAワクチンでも血栓はできる?
Pfizer/BioNTechのmRNAワクチンは、すでに完成されたmRNAを直接細胞内に送り込むので、転写後修飾の過程を経ずにたんぱく質合成(翻訳)がされます。このため、mRNAワクチンでは転写後修飾でのエラーの余地がないためか、今のところ血栓症の報告は見られていないそうです。
なぜウィルスベクターワクチンは高齢者に使用されているのか
オーストラリアでは現在Pfizer/BioNTech社製のmRNAワクチンとAstraZeneca社製のウィルスベクターワクチンの2種類が使用されています。このうちのAstraZeneca社製のウィルスベクターワクチンは、当初50歳以上の方が接種対象でしたが、つい先日その年齢が引き上げられて60歳以上の方が接種対象になりました。
オーストラリア政府は年齢引き上げの理由とし、50歳代の年齢層において非常にまれな症状(血小板減少症候群)を発症するリスクが高いことをあげています。実際にオーストラリアでは40代と50代の女性が各1人死亡もしているようです。
では、高齢者は大丈夫なのかと言うと、それに関しては確証はないものの、統計的データに基づいて問題ないとしているようです。
オーストラリアでAstraZeneca社製の新型コロナウィルスのワクチンを接種した50歳以上の成人が血栓症を発症する確率は、百万人につき12人と推定されています(0.0012%)。50歳未満では、非常にまれであることには変わりないものの発症率が少し上昇し、2021年5月13日時点で百万人につき20~40人と推定されています(0.002~0.004%)。
ちなみに年齢層が若い人の方が高齢者より血栓症を発症しやすいのは、若い人の方が活性が高いからではないかと考えられます(憶測)。RNAの転写後修飾において発生するエラー(ミススプライシング)には年齢差は関係ないはずです。ただし若い人の方がエラーが起きて誤ったmRNAができ、さらに変異したスパイクたんぱく質ができた時に、それが細胞外で炎症反応を誘発する可能性が高かったり、変異したスパイクたんぱく質を攻撃する抗体が生成されることが多いのではないかと思われます。
これに関しては、まだまだデータがなく、はっきりとしたことがわからないのが現状です。
日本ではウィルスベクターワクチンは承認されている?
日本では現在、既に接種されているPfizer/BioNtech社製とModerna社製のmRNAワクチンに加え、実はAstraZeneca社製のウィルスベクターワクチンも承認されています。
ただし、AstraZeneca社製のワクチンに関しては有効性が認められている一方、接種後に極めてまれに血栓症が誘発されるリスクが指摘されていることから、公的な接種には当面使わない方針を示しています。
ちなみに、これもあまり知られていないことなのですが、AstraZeneca社製のワクチンはイギリスから輸入するのではなく、日本の兵庫県に本社がある製薬メーカー『JCRファーム』が製造を請け負っています。
日本で製造されたAstraZeneca社製のワクチンの行方
AstraZenecaの新型コロナワクチンが日本国内で承認されたことを受けて、JCRファームが9,000万回分の原液を製造しているようです。ところが、日本国内ではPfizer/BioNtech社とModerna社のmRNAワクチンが使用されていますよね。
それじゃ、『日本国内で大量に製造されたAstraZenecaのワクチンはどうするの?』って思いませんか?AstraZeneca社製のウィルスベクターワクチンは冷蔵保管であり、mRNAワクチンほど超低温で保管する必要はないものの、それでも大量にあれば保管コストはかなりかかりますよね。
その答えが、こちらのニュースです。
台湾、そしてベトナムに無償で新型コロナワクチンが提供されています。
ニュースで無償提供についてはかなり報道されていますが、それがどういった経緯で無償提供するに至ったかは報道されていない気がしますね。
自国では極めてまれに血栓が生じるリスクがあることから公的な接種には使わないとしながら、他国には無償で提供するところ辺りになんだかやっていることの矛盾を感じてしまいそうです。
最後に…
この記事を読んでしまうと、AstraZeneca社製の新型コロナワクチンは怖いと思ってしまいそうですが、そもそもウィルスベクターワクチンを接種して血栓症を発症する確率は非常に低いです。
(オーストラリア政府情報によると330万回分の接種で血栓症が発症したのが60件、確率で0.0018%程度)
アメリカの国家運輸安全委員会 (NTSB) の行った調査によると、飛行機に乗って死亡事故に遭遇する確率が0.0009%と算出されているので、これと大きく変わらない確率かと思います。確率がゼロではないからと言って飛行機に乗らない人ってあまりいないですよね。それと同じ感覚で、むやみに心配する必要はないかと個人的には思います。
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